神にかたどって造られた

シドレイスの話


〔鏡の中のキリストの姿を見ている女性の画像〕

わたしは性依存症から立ち直りつつある,神の娘です。わたしの依存症は,自分の人生で最悪の,まったく絶望的な,そして最もひどく孤独を感じる経験でした。まるで深い穴の中に閉じ込められたかのようでした。助けを求めても,わたしに聞こえたのは,自分の心の叫びだけでした。出会ったのはただ沈黙だけ,友人たちや家族も沈黙し,さらには主さえも沈黙しておられるようでした。誰かが手を差し伸べてわたしを引き上げてくれるという希望もなく,わたしはまったくの孤独を感じていました。

性依存症は非常に多くの点でわたしの生活の妨げとなりました。わたしは依存症のことを恥ずかしく思い,その結果,だれからも愛されていない,またこの世には目的も価値もないと感じました。わたしができるだけ一生懸命に努力しても,いつもわたしより立派で,義にかなった人々がいました。わたしは心がすっかりしぼんでしまうのを感じました。記憶にある限り,わたしは,日々重い足取りで歩みながら,笑顔を絶やさず,ほかのだれにも実際の苦痛を知られないようにしていました。しかし,幸せではありませんでした。ただ生きているだけでした。立ち直りの努力ではなく,自制に努めるだけで,常に自分の方法で依存症を克服しようとしていました。

わたしはビショップに会うことを決意し,ビショップからLDS依存症立ち直りプログラムを紹介されました。そして,『依存症立ち直りプログラム』ガイドを渡され,集会に出席してはどうかと言われました。しかしわたしは,自分と同じことに苦しんでいる人々であっても,他の人々と顔を合わせるのが怖くて,その勧めを断りました。そして,自分でそのステップに取り組む決意をし,毎週ビショップに会い続けました。サタンはわたしを弱めようと日夜働きかけましたが,わたしはビショップに会うときはいつも,教会の建物の入口でサタンが離れ去るのを知りました。

時間はかかりましたが,ステップ1に取り組んだとき,わたしの心は和らぎました。そして,わたしはこれを独りで行えないことに気づき始めました。依存症を克服するには数の力が必要でした。わたしが独りの場合にサタンの力はとても強いこと,またビショップはとてもすばらしい人ですが,独りでわたしをいつまでも支え続けることはできないということを,わたしは知りました。わたしは自分の支援システムを見つけて,それを保持する必要がありました。そこで初めて集会に出席することを決心しました。

わたしは最初の集会の夜のことを非常に鮮明に覚えています。わたしは,支援グループの女性から非難の目で見られ,わたしがどれほどひどい人間であるかをすぐに知られるのではないかと心配しました。また,わたしを知っている他の人に会うことも恐れました。わたしは今,恐れの心をわたしに持たせようとサタンが働き続けていたことを知っています。会場に向かう途中,わたしはそのように恐れていました。しかし,会場に着くと,ビショップが待っていて,わたしを連れて入ってくれました。

わたしが部屋に入ると,そこには姉妹が一人だけいました。彼女がわたしを温かく迎えてくれたので,わたしの恐れは少し薄れました。ところが,さらに多くの女性たちがやって来ると,また恐れの気持ちが湧いてくるのを感じました。わたしは席で小さくなり,誰とも目を合わせないようにしました。気がつくと,自分はそこで何をしようとしているのかと考えていました。

集会が始まったとき,わたしは,御霊が部屋に宿り,麗しい癒しの光でわたしを包んでくれるのを感じました。するとたちまち,涙がわたしのほおを伝い始め,わたしは,天の御父がわたしを愛してくださっており,わたしはふさわしい場所にいるとささきかけてくださるのを感じました。それぞれの女性と語ることによって,恥ずかしいというわたしの気持ちは,確信,すなわちわたしは独りではなく,これまで思い込んでいたような病人や異常な人間ではないという確信の気持ちに代わったのです。わたしはそれまでの生涯で,わたしと同じような人々がいることを一度も想像したことがありませんでした。わたしと同じ問題に直面している神の麗しい娘たちがいっぱいの部屋に,わたしはいたのです。わたしはその夜,自分の全生涯で感じたことのないほど,受け入れられ,愛され,力を加えられ,決意を強められたという気持ちを抱いてその集会を後にしました。

今わたしは,集会への出席を続けながら,自分は人生の行路で独りではないという新たな希望をもっていつも会場を後にしています。わたしはこの行路で絶えずわたしを高めてくれる多くのすばらしい人々に出会っています。

わたしは天の御父とイエス・キリストに非常に感謝しています。わたしはいつも救い主を愛していました。しかし,ひどく恥じ入っていて,救い主の恵みを求めるのに自分はふさわしくないと思っていました。わたしは救いを与えられる主の力に個人的に頼る方法をまったく知りませんでした。自分にできることは,心を向けて救い主に頼れば,救い主はそこにいてくださると,信じることだけでした。そして,救い主は実際そこにいてくださいました。救い主は依存症立ち直りプログラムのステップの中で教えられている福音の原則の形で,12段のはしごをわたしのために低くしてくださったのです。このはしごと,また救い主がわたしの傍らでわたしを祝福して力と勇気を与えてくださったおかげで,わたしはもはや救い主が差し伸べてくださった御手を拒めませんでした。自分自身には依存症を克服する力がないことを認めるようになりました。そして,神に頼り,立ち直りの道を上り始めました。

わたしはこの1年半,ポルノグラフィーを遠ざけて生活しています。忍耐強くわたしに働きかけ,わたしを育て,わたしが悟りと理解を得られるように助けてくださる天の御父に非常に感謝しています。日々,自分の依存症と闘う時がありました。しかし,今はもう,そのような日々の誘惑と苦闘の連鎖から解かれています。わたしは,自分の性依存症がもっと大きな個人の悲劇,すなわち,自分の価値を理解していないことの表れに過ぎないということを学びました。わたしは今,自分が神の麗しい娘であることを知っています。わたしはもう鏡をのぞいて,自分は醜い,価値がない者だと思うことをありません。もう自分のイメージに引け目を感じることはありません。なぜなら,わたしは神にかたどって造られており,それによって永遠に価値ある者とされているからです。